私がスマトラ島に行きたかったわけ
旅行記をすすめる前に、私がスマトラに行こう!と思う理由と経緯を書きます。
Q:なぜ、スマトラなのか?
→スマトラオランウータンの生息地だから。
Q:スマトラオランウータンの生息地に行きたかったのは?
→東山動物園のスマトラオランウータンに出会って大好きになったから。
すごく、単純にいうとそんな理由です。
もちょっと詳しく
東山動植物園(名古屋)には、現在(2018年4月現在)2頭のスマトラオランウータンがいます。
↑ネオさん(49歳)メス
↑アキさん(33歳)メス
2011年秋、何気なく友人と訪問した東山動植物園で、オランウータン舎の前を通りがかりました。
ガサッと音がしました。
タワーで寝ていたオランウータンが、被っていた紙を引き寄せた音でした。
紙をかぶって寝ていたことにもびっくりしたし、それを引き寄せたなんというか”意思”にもびっくりしたし、
なんだか一瞬で”なんかすごい生き物がいる”と思いました。
その時はそのまま通り過ぎましたが、ずっと気になっていました。
2012年秋、気になっていたオランウータンに会いに、一人で東山動植物園を訪問しました。
その時、外にでていたのは「アキさん」でした。
アキさんは、うろうろしたあと、前のほうにやってきてくるんとしました。
↑こんな風に。
じぃっと人を見るように。
なんかもう、衝撃でした。
単純にその仕草がかわいいと、思ったとも思います。
ですが一番感じたのは
圧倒的な知りたいという想いでした。
あなた(アキさん)が何なのか知りたい。
あなたと私の違いが何なのか知りたい。
あなたと私の何が同じなのか知りたい。
一言でいうと、
その一瞬で心の底から私はスマトラオランウータン(アキさん)に惹きつけられてしまったのだと思います。
オランウータンについて知りたい
それから今日まで私の生活は、
『オランウータンについて知りたい』
で埋め尽くされてきました。
休みはできる限り、東山動植物園に通い、一日オランウータン舎の前で観察をしました。
ある年を集計したら、休みの95%をオランウータン関係で過ごしていました。
オランウータンや類人猿についてもっと知りたくて講演会や勉強会に足を運ぶようになりました。
特に、『オランウータン倶楽部』が主催する公開講演会は第三回から毎回参加しています。
犬山市にある京都大学霊長類研究所の公開講座や、日本モンキーセンターのモンキーキャンパスや公開講演会にも参加しました。
SAGAや、動物園大学など、探せば類人猿について勉強する機会はちょこちょこと得ることができます。
また、オランウータンについて書かれた書籍も購入し、読み漁りました。
なんせ”知りたい”がとても強いので、野生オランウータンを研究する研究者さんのことを知り、その研究者さんが書かれた本は何度も読み返しました。
そして日本で今野生オランウータンを研究している研究者さんは、多いとは言えないことも知りました。
(日本の研究者さんが作っている団体→日本オランウータンリサーチセンター)
本を読み、講演会などで実際にお話を聞いたりして、
”野生オランウータンの研究”にものすごく惹きつけられました。
そして2014年秋に機会を得て、日本の研究者さんのフィールドであるボルネオ島のダナムバレイを訪問することができました。
野生ボルネオオランウータンを観察でき、また実際にフィールドで調査する研究者さんの姿を見ることもできました。
一生忘れんと思う幸せな一日でした。
スマトラ島へ行きたい
そんな中ぼんやりと『スマトラ島へ行ってスマトラオランウータンの生息地に行きたい』という想いが強くなっていきました。
大好きなアキさん、ネオさん(東山動物園のスマトラオランウータン)のふるさとに行きたい。
彼らがどこからやってきたか知りたいと思うようになりました。
実際は、アキさんネオさんは東山動物園生まれです。
アキさんネオさんの、父バラン、母プーリーが野生由来(1歳2歳のころに野生から導入)です。
スマトラオランウータンは、スマトラ島にしか生息していません。
なので、アキさんネオさんのルーツはそこなので、大きな意味で”彼らがやってきた場所”はスマトラ島の熱帯雨林です。
スマトラ島の熱帯雨林が、スマトラオランウータンを育んできたのです。
その森に行って、やってきた場所に触れてみたいと願うようになりました。
アキさんを見ているとその背景に大きなスマトラ島の生息地を感じます。
(このように感じるのは、私にはアキさんだけなのです、なぜか)
そこに行く事は、アキさんネオさんをもっと深く知ることにつながる。
行ってみたい。
知りたい。
アキさんネオさんの存在をもっと近く触れてみたい。
思い込み100%なこんな気持ちが原動力でした。
行こう! いろいろ準備する
こんだけ行きたいと思うなら行けるよう動こう〜と思いました。
いくつか問題がありました。
その中で大きかったのは三つ。
1、スマトラ島の情報がない
2、行くなら一人
3、言葉どうする
1、スマトラ島の情報がない
行きたいなーと思い始めた2012年頃、周りに行った人もおらず、スマトラ島に関する情報はほぼ皆無でした。
地球の歩き方インドネシア、を購入してみましたがスマトラ島に関するページはあるもののものっそ少なく。
行けなくはない、ぐらいのふんわりした雰囲気しか得ることはできませんでした。
ネットの旅行記でスマトラオランウータンのエコツアー参加のものが出てくるので(ブキットラワンのもの)、こういうのがあるんだなとはわかるものの、具体的にそれがどんな生息地で、どうやって参加すればいいのかになると、いまいちはっきりしない。
逆にネットでは、地震や内乱などで旅行ができないなどの情報が入って来たり、より混乱しました。
ですが、行きたいんですと言っているうちに、えらいもんで少しづつ情報があつまっていきました。
そして実際に行った方にも数名会うことができ、ライブな知識を得ることができはじめました。
そして、インドネシアのスマトラ在住の学生さん(ニホンザルの研究で来日)とご縁をいただいき、またその方のご縁でスマトラ島で保護活動をしているOICの方を紹介してもらいました。
これはとっても大きかったです。
2、行くなら一人
私は仕事の関係で行くなら連休のとれる、盆か正月しか無理だなーと思っていました。
周りでスマトラ島に行きたいと思っている方はいましたが、逆にその方たちは盆正は難しい。
家族(旦那)は、スマトラオランウータンに私ほどの関心を抱いているわけではなく、熱帯雨林トレッキングに興味があるわけではない。
興味のない人を無理に連れて行っても、お互いつらいだけです。
行くなら一人。
まず、今まで海外一人旅をしたことがなかったので、練習として台湾に一人旅しました。
あとは、ホテルは安全重視で少し高めなところ。都会(メダン市)には寄らないスケジュールにする。ことで一応の安全対策としました。
3、言葉どうする
2014年夏にスマトラ島に行ったことがあるという方にはじめて会い『インフラ的にはマレーシアとは全然違う、交渉必須だからインドネシア語がベター、せめて英語はいるね』とアドバイスをもらいました。
その時の私は、一応短大の英語科出身とはいえ、書けても、聞けない話せないという典型的な日本人でした。
やっぱりかいるよな、と青ざめました。
2015年春、近所の英語塾の扉をたたきました。
先生『英語を学ぶ目的はある?』
私『スマトラ島に行ってスマトラオランウータンに会いたいんです。できますかっ』
先生『んー、大丈夫じゃない、できるよ〜』
近くに相性のいい塾があったのはラッキーでした。
自分でも信じてなかった未来を、大丈夫できるよ〜と言ってもらった瞬間から、スマトラ島への旅路がはじまった気がします。
そして、2017年年末。
スマトラオランウータンに出会ってから5年、ぼっちらぼっちら準備してきたことが実り、いろいろな方のアドバイスや協力のもと、いろいろ見切り発車ではありましたが、実際に行くことができました^^。